平福寺 境内のご案内
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1.本堂
昭和十七年(1942)・第40世栄隆和尚発願
本尊金剛界大日如来が祀られています。正徳二年(1712)に再興された旧本堂は老朽化が進んだため、昭和に入って全面改築されました。戦時中の物資が不足するなか、金釘を使わない工法により、九間×十間の本堂が建立されました。
2.客殿(遍照閣)
昭和六十年(1985)・弘法大師1150年御遠忌記念
受付・寺務所・大広間・研修室などがあります。旧庫裡の老朽化により、全面改築されました。通称「遍照閣」は、智積院63世化主・上野頼栄猊下の命名です。
3.歴代先師墓地
歴代の住職方の墓地です。当山は中興から数えて現住職で42代、600年以上の歴史があります。当山に縁りの方々の石塔と、歴代住職の名前を刻んだ石碑が建てられています。
4.千体地蔵堂
平成十八年(2007)・寄進
日限地蔵尊の分身、1000体が祀られています。墓地へと続く参道脇に、篤信の企業様より寄進されました。
5.六地蔵尊
平成十年(1998)・寄進
六道にある衆生を救い導く地蔵菩薩の石像です。墓地参道の入り口に、檀徒有志の方々より寄進されました。
6.五輪塔(永代供養塔)
平成十八年(2007)・第42世崇仁住職晋山記念
仏の五つの智慧を表す五輪の石塔です。昨今、社会情勢が激変する中、特にお墓のあり方や継承者のことでお悩みの方が増えております。やむを得ない事情の場合、亡き方々のご遺骨を埋葬し、永代にわたって、ご供養してゆく合同墓です。
7.行堂
昭和五十五年(1980)・第41世聖仁和尚発願
廃寺となった下社春宮別当・観照寺より伝来した不動明王が祀られています。真言宗智山派の加行道場に指定されています。元旦、節分、毎月23日の日限地蔵尊縁日に、護摩修行が行われる道場でもあります。
8.阿弥陀堂
宝永元年(1704)・第23世憲栄和尚発願
柴宮正八幡宮の本地仏・阿弥陀如来が祀られています。憲栄和尚が建立し、かつては柴宮にありました。明治初年に当山へ移され、大正期には左側に日限地蔵堂が増築されています。
9.日限地蔵堂
大正十四年(1925)・一美尼発願
日限地蔵尊(おひぎりさま)が祀られています。第39世栄運和尚の夫人・一美尼が発願し、広く信者を募って建立されました。江戸期の奉納額や、明治から昭和初期の「シルク岡谷」や「下諏訪の花柳界」を偲ばせる奉納品も納められています。毎月23日がご縁日です。
10.身代地蔵・延命地蔵・子育地蔵
当山で最も古い石仏です。自分の身体の痛いところ、不自由なところをさすり、この御像の同じところをさすると、不思議にも軽くなると伝えられています。真ん中が身代地蔵、左が延命地蔵、右が子育地蔵です。
11.百度石
お百度参りをするための石塔です。日限堂と百度石を往復しながら、一心に願掛けする御姿を見かけることがあります。子供の幸福、家族の無事、地域の繁栄、、何時の時代にも変わらぬ願いが込められています。
12.寿老尊
平成九年(1997)・寄進
諏訪湖畔七福神の一つに数えられる寿老尊の石像です。当時の責任役員の方々より寄進されました。もとは中国・道教の神で、長寿を司るとされます。鹿を従え、杖と巻物を持っているのが特徴です。
13.端楽童子
平成十七年(2005)・寄進
寿老尊にお仕えする童子の石像です。寿老尊を寄進した関係者の方々により建立されました。手に竹箒を持ち、庭を掃く姿をされています。「働く」ことは、端(ハタ=周り)を楽(ラク)にすることに通ずるとされ、端楽童子と名付けられました。
14.安楽地蔵尊
平成三年(1991)・寄進
石像の地蔵菩薩です。喜寿を迎えた篤信の方が、今日までの無事に感謝し、この寺に参詣する人々が後生安楽であるようにと建立されました。
15.法輪塔
平成元年(1989)・四国遍路成満記念
四国八十八箇所の御砂が納められています。先代住職とともに四国遍路された方々より寄進されました。四国まで行けない人でも、遍路修行と同じ功徳を積むことができるようにと建立されました。法輪を回し、石塔を右に回ってお参りください。
16.筆塚
平成十一年(1999)・写経会1000回記念
筆への感謝と、書の上達を願う供養塔です。毎週日曜日の写経会・1000回の記念に萌黄会の方々より寄進されました。毎年11月23日には日限尊学生書道展があり、筆供養が行われています。
17.安心童子
平成元年(1989)・寄進
こころ安らかな童子の石像です。日限尊の篤信の方より寄進されました。幼い小僧さんが木魚にもたれ掛かって眠っている姿です。「子供はみんな仏の子 子供は天からの預かりもの 子供は親の心をうつす鏡」の句が掲げられています。
18.仏足石
平成四年(1992)・西国三十三観音巡礼成満記念
釈尊の足跡を刻んだ石です。先代住職とともに西国巡礼をされた方々より寄進されました。インドの初期の仏教では、釈尊の仏像を造ることは恐れ多く、法輪・菩提樹・塔・高座・足跡などを、その標識として用い、礼拝したそうです。
19.手洗い石
手を洗い用の石盤です。大正から昭和にかけて、日限尊に篤い信仰を寄せられた方々より寄進されました。
20.興教大師坐像・報恩塔
平成四年(1992)・興教大師850年御遠忌記念
真言宗中興の祖である興教大師覚鑁上人(1095-1143)の金銅像です。覚鑁上人は、平安時代末期、真言密教の教えに浄土思想を取り入れ、また高野山には伝法院・密厳院を建て、真言宗を中興された祖師です。
21.水子地蔵尊
水子の精霊を救い導いてくださる地蔵菩薩の金銅像です。亡き御霊への供養の道は、自分とみんなの命を大切にすることにあります。仏さまに手を合わせつつ、自分の歩幅で、焦らず、怠らず、限りある命を全うしたいものです。
22.石地蔵群
いつの頃からか、奉納された地蔵尊の石像群です。諸々の願いを込めて、また願いが叶った御礼にと、古くから当山に伝えられてきた尊像です。山門の整備により、土塀の内側に安置されました。
23.鐘楼堂
昭和二十八年(1953)・第40世栄隆和尚発願
梵鐘をつるす楼堂です。元の梵鐘は、第二次大戦により供出されましたが、戦後になって楼堂と共に新調されました。毎日の夕刻、大晦日の除夜祭に撞きます。ご参拝の際にも、こころを込めてお撞きください。
24.山門
平成八年(1996)•当山中興第1世憲明上人600年御遠忌記念
新しく建立された山門で、総檜造りの四脚門です。天保八年(1837)に建てられた旧山門は、現在は東堀区が管理する尼堂墓地の門として移築されています。左右に土塀が設けられ、内側には江戸期からの石仏が祀られています。
25.おひぎりさま会館
平成四年(1992)・興教大師850年御遠忌記念
参詣者や檀信徒の憩いの場です。縁日の接待、参詣者の控え室、展示会、写経・御詠歌の道場など、様々な用途に使用されています。「お線香・おみくじ・お守り」などの売り場もあります。
26.寺標
平成八年(1996)・第41世聖仁和尚揮毫
寺号を誌した標塔です。当山中興第1世憲明上人600年御遠忌の記念として新たに建立されました。
27.御水舎
参拝の前に、手を洗い、口を漱ぐための手水場です。石造りの水盤は、昭和八年(1933)に寄進されたものです。
28.点香所
参拝用のお線香を点ける場所です。火をつける壷がありますので、その中で点香してください。
29.四国西国霊場供養塔
昭和十四年(1939)・寄進
四国八十八箇所、西国三十三箇所の供養塔です。上諏訪の篤信家が巡拝され、各霊場の土を埋めて供養塔としました。題字は高野山金剛峯寺第437世検校・性吽法印の書によるものです。
30.修行大師像・報恩塔
真言宗の宗祖である弘法大師空海和尚(774-835)の金銅像です。空海和尚は、平安時代初期、唐より密教を将来し、真言宗を立教開宗されました。東寺や高野山を拠点に活躍され、その後の日本文化の礎を築かれた祖師でもあります。
31.栄運僧正頌徳碑
昭和六年(1931)・渡辺千冬子爵撰
第39世栄運和尚(1865-1920)の功徳を讃えた石碑です。栄運和尚は、若くして宗派の重役・集議席にありました。日露戦争では従軍布教師として戦地に赴いています。なお碑文と篆額は、東堀出身で、司法大臣を務めた渡辺千冬子爵(1876-1940)によるものです。
32.千力地蔵堂
大正十四年(1925)・一美尼発願
日限尊の弟子とされる地蔵菩薩の石像が祀られています。広く人々の幸福を願い、多くの人々の力によって建立されたことから、千力地蔵尊と名付けられました。先人方の尊い思いを請けて、私たちに大きな力を与えてくださる仏さまです。
33.友和観音
昭和五十三年(1978)・寄進
観音菩薩の石像です。大正十五年(1926)に下諏訪尋常小学校を卒業した方々により、恩師や旧友を偲び、世界の久遠の「友情」と「平和」を願って建立されました。近年は縁結びや和解の観音さまとしても、信仰を集めています。
34.渡辺豊治翁謝恩碑
昭和八年(1933)・渡辺千冬子爵撰
実業家・渡辺豊治翁(1856-1932)への謝恩碑です。明治から昭和の初めにかけて、諏訪・岡谷では製糸業が盛んでした。翁は丸九渡辺組を創立し、日本の近代化を支えた製糸業の発展に尽くされました。従業員の依頼により、親戚筋の渡辺千冬子爵が撰述しています。
35.句碑
第38世栄精和尚(1834-1912)の句碑です。俳号を「滴川」といいます。江戸末期に当山住職となり、廃仏毀釈に際しては、廃寺となった下社別当寺を引き継ぎ、法灯の存続に尽力しました。長地小学校の前身、東堀学校の初代教員も務めています。
36.平福寺公園
昭和四年(1929)・東堀学校跡地
明治五年(1872)に学制がひかれ、寺子屋にかわり柴宮学校(後に東堀学校)が発足しました。同二十二年(1889)には、東堀・西山田・東山田の三校が統合され、長地学校(現・長地小学校)が開校しています。昭和初期、学校跡地は公園として整備されました。
37.石門
大正二年(1913)・第39世栄運和尚発願
旧中山道に面する石造の冠木門です。寺前通りは、かつての中山道です。この街道に沿って、両側に宅地・前栽を計画的に割り振り、その屋敷の裏には北汐・南汐の用水路が通されました。江戸初期に造られた町並みは、その機能美を今に伝えています。
38.境内駐車場
10台ほど駐車が可能です。節分祭・古札浄焼式なども行われます。ご参拝の際、自由にご利用ください。当山主催の行事の時には、東堀区柴宮館駐車場を借りてありますので、そちらに駐車してください。
1.本堂
2.客殿(遍照閣)
3.歴代先師墓地
4.千体地蔵堂
5.六地蔵尊
6.五輪塔
7.行堂
8.阿弥陀堂
9.日限地蔵堂
10.身代地蔵・延命地蔵・子育地蔵
11.百度石
12.寿老尊
13.端楽童子
14.安楽地蔵尊
15.法輪塔
16.筆塚
17.安心童子
18.仏足石
19.手洗い石
20.興教大師坐像・報恩塔
21.水子地蔵尊
22.石地蔵群
23.鐘楼堂
24.山門
25.おひぎりさま会館
26.寺標
27.御水舎
28.点香所
29.四国西国霊場供養塔
30.修行大師像・報恩塔
31.栄運僧正頌徳碑
32.千力地蔵堂
33.友和観音
34.渡辺豊治翁謝恩碑
35.句碑
36.平福寺公園
37.石門
38.境内駐車場
入口
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