本堂内陣天上絵
平成九年(1997)・佐原永泉画伯、倉松礼子画伯作
当山中興第1世・憲明上人の600年御遠忌の記念として奉納されました。
岡谷市の佐原永泉画伯、栃木県の倉松礼子画伯、当山に縁りの絵師によって描かれました。
本堂を荘厳する季節の草花です。
寺宝・文化財
寺宝・文化財のご紹介
金剛界大日如来坐像
(江戸中期・桂材寄木造)
【岡谷市文化財指定】
当山本尊・享保元年(1716)
第23世憲栄和尚発願
憲栄和尚は、高野山の栄鏡大阿闍梨より、中院流を相承し、当山を中興しています。この時、京都の仏師に命じて造立されました。この仏像の白毫と心蓮には、栄鏡大阿闍梨より賜った「仏舎利」と「宝珠」が埋められており、相好具足の仏身と言われています。
阿弥陀如来坐像
(伝室町期・桂材寄木造)
伝宗良親王護持仏
柴宮正八幡宮本地仏
後醍醐天皇の皇子・宗良親王の護持仏と伝えられます。皇子は諏訪に入り、正八幡宮(柴宮)を御座所としました。当山は柴宮の別当寺を務め、この仏像は柴宮の本地仏として祀られていました。明治の廃仏毀釈により、阿弥陀堂とともに、現在地に移されています。
阿弥陀如来坐像
(鎌倉期・檜材寄木造)
【長野県宝指定】
元三精寺安置・慶派一門作
明治初年の神仏分離令により、諏訪大社関係の別当寺が廃寺となるなか、平福寺へと難を遁れた仏像の一つです。元は下社秋宮の別当寺・三精寺の阿弥陀堂に祀られていました。全体に堂々とした力強さがあり、運慶を代表とする慶派一門の仏師による作とされます。
日光月光菩薩立像
(室町期・桂材寄木造)
【岡谷市文化財指定】
元観照寺安置
明治初年の神仏分離令により、諏訪大社関係の別当寺が廃寺となるなか、平福寺へと難を遁れた仏像の一つです。元は下社春宮の別当寺・観照寺の本尊薬師如来の脇侍であったとされます。同じく薬師如来の眷属である十二神将立像も当山へ移されています。
十一面観音菩薩立像
(室町期・桂材一木造)
【岡谷市文化財指定】
元三精寺安置
明治初年の神仏分離令により、諏訪大社関係の別当寺が廃寺となるなか、当山へと難を遁れた仏像の一つです。元は下社秋宮の別当寺・三精寺の本尊であったとされます。像全体が黒褐色になっているのは、護摩の焼煙によるものとされています
地蔵菩薩立像
(江戸期・桂材一木造)
元三精寺安置
日限地蔵尊(おひぎりさま)
明治初年の神仏分離令により、諏訪大社関係の別当寺が廃寺となるなか、平福寺へと難を遁れた仏像の一つです。元は下社秋宮の別当寺・三精寺の地蔵堂に祀られていました。通称「日限地蔵尊(おひぎりさま)」と親しまれています。普段は厨子に入る秘仏で、丑・未の歳に御開帳されます。なお、写真は前立ち本尊です。
両界大曼荼羅図
(平成期・絹本紺地金泥)
平成十年(1998)・第41世聖仁僧正発願・松尾栄画伯作
当山中興第1世・憲明上人の600年御遠忌の記念として造立されました。成田山新勝寺の「平成大曼荼羅」を図画したことでも名高い、仏画家・松尾栄画伯の作です。一枚の絹地に画かれた金泥の曼荼羅としては、まれに見る大きさと言われます。
本堂欄間
(昭和期)
昭和十七年(1942)・武田苞信作
本堂には、下諏訪の彫刻家・武田苞信翁の欄間が掲げられています。二十四孝より、「孟宗」「郭巨」「楊香」の3図と花鳥図より成っています
金剛界大日如来坐像
阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像
日光月光菩薩立像
十一面観音菩薩立像
地蔵菩薩立像
両界大曼荼羅図
本堂欄間
〒394-0083 長野県岡谷市長地柴宮3-3-22
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