平福寺の由来
宗派:真言宗智山派
本山:総本山智積院(京都東山七条)
本尊:金剛界大日如来
(岡谷市文化財指定)
中興 :憲明阿闍梨(?-1396)
平福寺本堂
彌林山平福寺は、真言宗智山派に属する寺院です。その開基は不詳ですが、諏訪大社下社にあった神宮寺の僧・憲明阿闍梨(?-1396)の中興とされます。隆盛時には、下社春宮の別当寺をつとめ、七堂伽藍・門徒十一坊を有する大寺院でありました。しかし、天正・慶長年間(1573-1615)の戦乱・洪水により荒廃し、東堀郷と共に現在地に遷されたといいます。江戸期には、柴宮正八幡宮の別当寺として諏訪藩主の帰依を得ました。また第23世憲栄和尚(?-1729)は、京都智積院に学び、高野山金剛頂院の法流を受け、諸堂や本尊を再建して、悲願の復興を遂げています。
明治初年の廃仏毀釈により、諏訪大社の別当寺が廃寺となり、下社神宮寺・秋宮三精寺・春宮観照寺の仏像などが、当寺に受け継がれました。近年には、第41世聖仁長老のもと、客殿・会館・山門などが整備され、積極的な活動が行われています。
当山は、弘法大師の道場として、諸仏の霊場として、永く護り伝えられてきました。より多くの皆様が、仏道や寺院に親しまれ、こころ安らかな日々でありますよう念じております。
第42世住職小林崇仁拝